にれこスケッチ
普段の延長にあるハッピーエンド
作者 鴨居まさね
巻数 3巻
あらすじ にれこは小さなころから清田くんのことが大好き。
彼の傘工房でバイトしていたけれど、家業のブラシ屋を継ぐことになったにれこ。
おばあちゃんとお母さんとお姉ちゃん、そして元彼と猫。ゆっくりと変わっていくモラトリアムな日々。
将来をはっきりと決めずに何気ない日々を過ごしていたアラサー女性が、家業の面白さに目覚めながら、自分の足場を作っていくお話しなんだけど、すぐにバリバリ働くわけでもなく、恋愛が急に上手くいくわけでもなく、日常の面白さを眺めるような作品。
他人から見たら何でもないような、だけど自分のなかではそれなりの出来事で、友人に連絡しちゃったりする。
そういった日々の出来事を小さな山にして、それが低い山脈のように続いていき、いつのまにかゴールに辿り着くような、着いたと思ったらまた違うゴールが遠くに見えてきたり。
他の作品も似たような、毎日を重ねて厚みが出てくるようなお話しが多く、それが作者の持ち味でもあります。
過去のコミカライズ作品も原作と相性が良くて楽しめますが、やっぱりオリジナルがいいな。
主人公のにれこは手作業の仕事が好きだけど、でも仕事一筋というわけでもなく、傘の小さな部品に萌え、作業にハマって夢中になり、その作業の難関を家族にグチってる。プラモや手芸をするように仕事に対峙していて、手作業の楽しさを伝えてくれます。
製造業ってそうでないと続かないかもしれない。
傘作りもブラシ作りも機械に頼らない地味な手作業で、ただ黙々と同じことを繰り返す。反復手作業って、その中でのベスト(時間だったりクオリティだったり)を目指してみたり、昨日と変わらないことをしているのに今日のほうが上手だったり、そうしたことの楽しみと喜びが毎日の仕事の糧になる。
手作業の製造現場に入る機会が過去にあったのですが、出来上がった成果物に誇りと愛着を持つ方が沢山いたのを思い出しました。

1巻(鴨居まさね)より
ブラシ製造作業を始めるにれこ
本作のキーパーソンは清田くん。
小さなにれこのヒーローだった男の子で、にれこは清田くんのことが好き!大好き!それがそのまま大人になっても続いています。
清田くんは既婚者ですが、横取りしたいわけじゃない。ただ好きなだけ。清田くんを見ていたい話したい清田くんのマフラーの匂い嗅ぎたい、これはもう恋じゃなくて清田オタク。
にれこは清田くんが経営している傘工房でバイトしていて、清田くんが傘を制作しているところをみてうっとりしてます。オタクだからね、推しが動いてるだけでそうなるよね。
そんな清田くんはにれこの姉の同級生で、更ににれこの母とはLINE友達。
にれこを恋愛対象にすることは無く、独身だったとしてもにれこを選ぶことは絶対に無い。
ヒナの刷り込みのように、何があっても後追いしてくるウザい妹のように感じています。
嫌いじゃないけどチビすぎて、同級生の妹ともなればますますそんな関係になる気にはならず。更に母親のほうと信頼関係を築いて仲良くなってしまい、にれこを女として意識するのは絶対無理。
外見も特別いい男として描いているわけではなく、髪は長めでボサボサだし服装はカジュアル。一般的な会社員ではないとわかる風貌に描かれています。にれこ姉の反応からも、女子に好かれるタイプではないと思われる。
それでも自営業の社長さんだし、よく働く嫁もいるし、一般的にまともな男性。
嫁さんとの馴れ初めは柿ピーで、繋げたのはにれこ母。どんな内容かは読んでください。
にれこは本当は『楡』って名なんだけど、それを『にれこ』にしたのが清田くん。
それまで自分の名前がいまいち気に入ってなかったんだもん、嬉しいよね。それが刷り込みの最初だって、清田くんは気付いていない。

1巻(鴨居まさね)より
かっこいい清田くん
そんな清田くんとは対照的な、元彼の松谷くん。
モテモテで優男でほんわかなルックスで、頭はいいし仕事もできる。
その松谷くんがにれこの周囲に現れてグダグダが始まります。
姉の飼い猫が松谷くんに異常なくらい懐いていることをきっかけに、別れた彼と少しずつ距離が縮まっていく。
久しぶりに二人で会い、以前は喧嘩ばかりしていたじゃないと言うにれこに対し、喧嘩した覚えがないと返す松谷くん。性格の違い、男女の違いもあるんでしょうが、ここまで認識が違うとは。合わない二人、でも恋愛ってそんなもん。
別れているからこそ過去を冷静に振り返ることができるのか、同棲していたころを二人で反省しているかのようなシーンがとてもいい雰囲気。友人よりも少し濃い関係性が成立していきます。
『元彼の家に頻繁に行く』、これ自体が普通ならありえない。
にれこは松谷くんに恋愛を求めていないからこそ意識せずに会いに行けるし、松谷くんはにれこに対する思いがあるからこそ訪問を受け入れている。

3巻(鴨居まさね)より
ミッション内容だけ見れば確かに謎だ
アイドル扱いの清田くんと元彼の松谷くん。
清田くんは既婚者だしにれこのことをなーんとも思ってなくて、
松谷くんはまだにれこに好意があるけどにれこの気持ちを尊重したくて、
こんな状態で普通の恋愛漫画になるはずもないのですが、清田くんも松谷くんも納得の着地点。
鴨居作品の登場人物は、どこにでもいそうな市井の人々。
家族や友人や職場があって、笑ったり怒ったり悩んだり、食べ物や動物の好き嫌いがあって、服のセンスが一貫していて、シールのポイントを集めてニコニコしたり。街を歩けばそこに居る、現実的なひとが描かれます。
みんな個性があって、みんな普通。地味にこれ難しい。
フィクションでは、主役格には突出した何かを付与することが多いけれど、この作品の登場人物にそんなものはない。それがいい。
にれこの母と清田くんの関係が奇妙で面白い。
娘の同級生とLINEで繋がるって、一時的な連絡用ならともかく、まずリアルでは無い。
二人は清田くんが中学生のころからの長い付き合いで、今では二人で呑みに行くレベル。
男女間の友情は存在するのかという不毛な議論をたまに見かけますが、20近くの年齢差+女性が年上、かつ女性の子が男性の同級生という関係性なら成立するな。二人の位置は『にれこの保護者』だし。
母が登録している清田くんのLINE名は『(有)清田 』。
ブラシ屋見習いを始めてから少しずつ変わっていく日常。
仕事と人間関係と生活基盤が、自らの意思と関係なく動いていく。
自ら変えるなら慎重さも必要だけど、流される場合は決断力と同時にテキトーさが必須。にれこにはどっちも無いな。元彼と別れるときは決断力あったのに。
2巻から出てくる、いとこの子の桜良ちゃんがよい脇役。
頭のいい小学生、単に勉強出来るというのじゃなくて高IQ。周囲に合わせてわざと問題間違えるような子。
元彼の松谷くんも桜良ちゃん側のひとで、ここもまた不思議な関係性が成り立っていきます。
受験勉強の息抜きにプログラミングの勉強をするという桜良ちゃんの発言に、普通のことの如くスルーの松谷くん。
そのときにれこは「べんきょうの息抜きにべんきょう」と引いてます。わたしもにれこ側だ。

3巻(鴨居まさね)より
コマ抜粋
『べんきょうの息抜きにべんきょう』シーン
獣毛ブラシと傘とアレルギーの豆知識が無駄に増えていく本作、
ブラシの知識なんてたぶん一生使わない情報だけど、だから面白い。
必要な情報は調べるし入ってくるけれど、不要な知識はこうして飛び込んでくる。
こんな知識の出会いがきっかけで、興味が湧いて新たな世界に入ったりするもんです。
結局にれこは何をして誰と過ごしてどこで暮らすのか。
大袈裟ではない、普段の生活の延長にあるハッピーエンド。